新しい生活

3年のブランクを経て、カナダに戻りることになり、

住む場所、娘の学校など、かなり厳しい選択を迫られました。

大学側は、寮を私たちに確保してくれることを約束してくれていましたが、

それが、ベストの選択なのかどうかその当時の私には判断できませんでした。

なぜならば、娘が行くのは高校。カナダの高校といえば、公立の高校はその当時でも、

簡単に子供たちはアルコール、ドラッグなどの危険にさらされているということをいろいろな

方から聞いていたからです。

私がいうのもなんですが、彼女はとってもしっかりしていて、そんな誘いには絶対に

乗らない子でした。そんなに心配しなくてもよかったのですが、

その当時の私はとても彼女の安全に対して過敏になっていました。

たまたま近くの町に日本人の知り合いで、カナダでビジネスをしている方を知っていたので、

彼女に頼んで、住む場所を紹介していただき、高校についてはやはり規律の厳しいクリスチャンの私立

の高校へ通うことに決めました。

親子留学では、もし母親が大学などの学校でビザを取った場合、子供の国際学生としての支払いが免除になります。

子供だけが、学校に行く場合は、その当時で100万円ほど支払わなければならなかったと思います。

もちろん、私が選んだのは私立高校なので、授業料は払わなければなりませんでしたが。

今思えば、いろいろな面で、後悔が感じられます。

公立高校に行っていれば、彼女の高校生活はもっと素晴らしいものになっていたでしょう。

また思い出しながら、つづっていきたいと思います。

もう一度

 娘が『行きたくない』と言ってから、私はあまりカナダ行きについて話をせずに過ごしました。

大袈裟にならないように準備を進めていきました。

心の中では、「娘と一緒に行きたい』という気持ちがいつも響いていましたが、胸の中にそっとしまっていました。

ある日、『私もカナダに行く』と娘から突然の告白!

あまりにも唐突であっさりとしたものだったので、しばらく沈黙。。。。。

え、大丈夫なん?高校楽しんじゃないん???無理しなくんていいんだよ!?

彼女の中では、私と二人でいることが今一番大事であることを聞かされました。今まで二人で

全てを乗り越えてきたので、別々になることは考えられなかったようです。

娘からの全身全霊の応援をいただきました。

ありがとう。

さあ、本格的な渡河への準備が始まりました。

今回は家を空けている間。貸し出すことが可能かどうか、色々な不動産に相談に行きました。

今から15年前の話ですから、その時代にはなかなか家を貸出す。なんて人はいなかったように思います。ようやく一つの不動産を見つけ、なんとか契約を交わしました。

これで、向こうでの家賃はなんとか補えます。

しかし、貸出すとなると、気のみ気のままというわけにはいかず、家中のものを全て片付けなくてはなりませんでした。備え付けの冷蔵庫まで動かさなくてならなかったし、7月だったので、汗びしょびしょで大変だった記憶が。でも唯一よかったことは、グランドピアノだけはなんとか置いておくことを許してもらたということです。

実家の父、母、姉たちにはたくさん迷惑をかけてしまったなあと反省。と同時に本当に感謝しています。皆のおかげで無事にカナダに行くことができました。

ありがとうございました。感謝です。

Dilemma

私の気持ちはすでにカナダに。

と同時に3年間のブランクででやっていけるのかどうか…不安もありました。

娘は中高一貫に入り、高校生活も楽しく、担任の先生がとても良い方で

彼女にとって満喫した時間を過ごしていたことを覚えています。

やっと日本に慣れて頑張っている娘の姿を見て、自分一人で行くこともありだな。と

一方では、娘の将来を考えたら、一緒に連れて行った方が絶対にいい。と

Dilemma (ジレンマ)でしたね…

とりあえず渡河の意向を伝えました。

予想通り、彼女の最初の反応は『行きたくない。』でした。

それはもう、わかっていたので、とにかく私は行くので日本で頑張って待っていて欲しいと告げました。

今まで、二人三脚で頑張ってきたので、離れることはとても辛いことでしたが、私の決意は変わりませんでした。彼女にとっても、私にとってもきっと良いことなのだろうと自分に言い聞かせている毎日でした。

しばらくカナダ行きについては話すことはなく、過ごしました。

決断

3年の月日は私たち二人にとっては本当に大事な時間でした。

娘の高校受験がなかったので、その分のストレスがなくなり大きな問題なく過ごすことができました。

私は教師として、たくさんのteenagerの生徒さんに会うことができました。

家庭の事情が非常に良くなく、それゆえに行動に問題のある子たちにも会いました。行動自体は悪いことなのですが、心に悩みを持ち、壊れそうな心で過ごしている子供達。

夜遅くまで家に電話をしたり、朝早くから家の方に尋ねたりと。真剣に向き合えば向き合うほど、私の方もどんどん疲れて、たまに友人に会うと、『なんか、大丈夫?窶れちゃって。。。』と言われる日々が続いていました。

それもあったのですが、一つ心配事がありました。

自分の英語力が日に日に衰えてきていることでした。日本語の環境にどっぷりと浸かり、英語を使うことがないのです。娘も然り。なるべく家では英語で会話するようには心がけていましたが限界がありました。

もうそろそろ戻らなくては……カナダへ。

大学からの手紙ーーーまだ有効だ。

気がついたら、高校の理事長にアポイントメントを取り付けていました。

この方は母のことをよくご存知の方でしたので、快く時間をとっていただきました。

私は今までお世話になった感謝を告げ、カナダの大学との約束を話しました。この時は

辞職するつもりでした。『何年かかるの?』と聞かれ、『多分1年で卒業はできます。』と

返答。『では、1年お休みして、また戻ってきてください。』と言ってくださったのです。

あっという間に承諾していただきました。このご恩は一生忘れないと思います。

さあ、これからまた新たな挑戦が始まります。

無事に

まったく自信がなかった娘、私も何とかと願うばかりの毎日。

半分は地元の中学校への入学を考え始めていました。

しかし、なんと合格することができました!やったぞー!

娘を受け入れてくださり、本当に感謝でした。

そして私たち二人の新しい生活がスタート。

学校は隣の県、石川県金沢市にあります。

JR富山駅から金沢駅まで普通列車で1時間。そのあと、バスで30分くらいですか。

ですので、朝は5時半に起き、二人分のお弁当作り、朝食を食べ、6時半には駅に向かいました。

私はありがたいことに、富山市にある高校で教師として働き、3年間お世話になりました。いろいろなことを学ぶことができ感謝しています。

今一番心に残って感心していることは、彼女が毎日休まずに学校に通ってくれたことです。

はじめは、やはり逆カルチャーショックで慣れるのに、苦労をしていました。学校にいきたくない。

と言ったこともありました。

後から聞いた話ですが、やはりカナダと日本の文化、習慣の違いでかなり戸惑ったそうです。

カナダは自分の意思表示をしっかりしないと周りに認めてもらえません。「出る杭は打たれる」のが

日本です。クラスメートたちとの関係をスムーズにするために、なかなか時間がかかったようです。

不登校になるかもしれないと心配しましたが、よく踏ん張ってくれました。

本当にがんばったね!

私も新しい職場で、いっぱいいっぱいで、必死だった姿を彼女は見ていたのでしょう。私を困らせるようなことは言いませんでした。もっと余裕をもって話をしてあげればよかったかな。と反省しています。ごめんなさい。

いろいろありましたが、3年後、もう一度カナダへ渡ります!

帰国

日本に帰国。

飛行機を降りた瞬間、強い湿気に二人とも『ヒェー』と叫んだ記憶があります。(笑)

バンクーバーは湿気が低く、過ごしやすい気候だったので、日本の湿気はかなりきつい。

しかし、娘はなんだかとてもワクワクし、楽しそうでした。イキイキしていましたね。

留学など、日本を離れて暮らしている方々はよくわかると思いますが、日本にいる時にはわからない日本の良さが、離れてみて初めて理解できて、あー日本人でよかった。と思う瞬間があります。

彼女は8歳から12歳までカナダで生活していましたので、もう中身はカナダ人(笑)日本語は私といつも喋っていたし、補習校にも通っていたので、問題はなかったのですが、時々、変な日本語を発していたような記憶があります。英語は必ず主語がある言語です。ですので、それを日本語でもやっちゃうんですね。たとえば、家族内でも『ご飯食べた?』が『あなたはご飯食べた?』になるのです。

これは本当に面白い現象でした。

私の場合は、30歳までどっぷり日本人、海外旅行も行ったことがなく、いく気も全くなかった人間でした。また、詳しくお話しさせていただきますが、30歳の頃、今まで予想もしなかったことが次々に起こり、娘を守らなくてはいけない、しっかりと育てていかなくてはならないという使命感が、私自身を突き動かしたからなんです。

とにかく、カナダに行き見事にculture shock 受け、たくさんの失敗、トラブルなど経験して、

また、大学という素晴らしい環境で、文化、言語、習慣、教育学、哲学、心理学などを現地の言葉で現地の方々と学ぶことができました。

しっかりと大きく育てていただきました。感謝しかないですね。

さて、帰国後は忙しい、忙しい!

荷物の整理、新しい生活の準備、電気、水道、ガス、電話などの手続きに追われながら、娘の受験準備、就職先への挨拶と、目まぐるしい日々。

あっという間に受験の日。

試験の後、娘はケラケラと笑って、『難しかった。』と一言。

問題を見てびっくり、本当に難しい!これは高校の問題?と思うくらいでした。

残すは保護者の面接。

面接官お二人おられたと記憶していますが、4年間の海外生活で得た彼女の個性を認めて、育ててくれる学校はここしかない。ということを必死に語りました。なんとしてでも入れてください!、と(笑)

悔いはない。よく頑張った!そう二人で話しながら帰途につきました。

結果は?

つづく——

Canadian experience

Living in Canada is an immersive multicultural experience that broadens your cultural perspective. Having the ability to see the world from other cultural perspectives provides insight to our own culture and how we view each other. After living with many cultures we understand a commonality between cultures and countries. We enjoy sharing the many diverse and interesting aspects of others cultures. Some of the most interesting differences relates to food. There are many different ethnic foods available which provide many new culinary options for meals. Having lived in Canada for many years I am aware of the best places to visit and how to get there and where to stay. I enjoy exploring Canada as it is a very large country with an infinite number of beautiful places waiting to be discovered. There is something for everyone in Canada and you can find what ever you are looking for there due to its diverse population from shopping to sightseeing and out door activities. The summers are beautiful sunny and warm and the winters can be wet but mild of the west coast while cold and dry in the interior. If you have any questions or are interested in visiting Canada I would be glad to talk with you.

帰国子女とは その2

高校受験、これは私の地元富山では大変な関門です。

どの大学を卒業したかよりも、富山のどの高校を卒業したか、ということが大事なポイント。しかも、国公立は私立よりも上に見られている風潮があります。

私はあまり何も考えずにやってきましたが、大人になってみて、周囲の方々との会話で、この事実を

知り、びっくりしました。(汗)いや、これは実に面白い富山の特徴です。

地元のマンモス校に入って、他の生徒たちと一緒に学んでいけるのか。いじめなども対処していかなくてはならない。なんとか彼女を守る方法はないのか、悩みました。

東京にあるInternational schoolも考えましたが、授業料もかなり高く、また別々に暮らすことはその時は考えられなかったので、ひとまずこちらの方は保留にしました。

その頃は富山県には私立中学、高校の一貫教育施設がなく、色々探した結果、隣の石川県金沢市に、中高一貫コースの学校を見つけました。私の母が金沢出身なので、聞いてみたところ、大変良い学校とのこと。少人数制、キリスト教に基づいた教育理念、何より高校受験がない!

さっそく学校と連絡をとり、中学受験の申し込みなどについて教えていただきました。メールのやり取りから、学校の対応の良さが印象に残っていて、教頭先生が英語の先生だったこともあったのでしょうか。親身になって対応していただいた記憶があります。

帰国がすぐにできないため、中学受験願書の資料を母に学校までとりに行ってもらい、カナダに送ってもらいました。それをまた日本に送り返し、今では考えられない長い道のり(笑)

母には本当に感謝です。

ここから娘の中学受験勉強がスタートしました。

こんな短期間の準備で大丈夫なのだろうか?不安がなかったわけではなかったのですが、この時は、もうここに行く!と決めて行動をしていたので、迷っている時間はなかったように覚えています。

不安の理由としては、カナダにいた4年間は、毎週土曜に現地にある日本語補習校に通っていましたが、こちらでは、国語、算数を集中して勉強しており、理科、社会はほとんど勉強していなかったことです。

とても親切な牧師Yさんが、このギャップを埋めましょう!と、手を挙げてくださり、週に2、3回お家の方に通わせていただいた記憶があります。本当によくしていただき、感謝しております。娘も帰国を望んだ以上、やはりやらなければ。と文句を言わず、頑張っていた様子を覚えています。

帰国の日が迫ってきました。

帰国子女とは

今日は結構暖かいと思っていたのですが、夜になると冷え込みますね。

薪ストーブの前を陣取って書き始めました。

親子留学をして、4年間娘と二人三脚で頑張ってきました。

彼女はまったく英語ゼロでカナダに来て、本当に大変だったと思います。

留学前は一応某英会話教室などに通わせていましたが、本人はまったく興味が無く

ただ、遊びに行っていただけのようで…..(笑)

また次の機会に私たちの奮闘記に触れてみたいと思います。

帰国子女という言葉をご存知に方はたくさんいらっしゃると思います。

簡単に説明すると、2年以上海外で生活して、日本に帰ってきた子供達のことを指します。

私が親子留学を決めたのは、自分の留学のためと、、8歳の娘を一緒に連れていくことで、、密かに娘が帰国子女になれば良いなあ。と考えていたからです。一石二鳥ではないですが、二人にとって素晴らしい経験になると確信していました。もちろん彼女に将来にもきっとプラスになるだろうと。

彼女は行く学校全て、日本人がいないという状況で、素晴らしいクラスメート、また素晴らしい先生方に恵まれました。本当にこれは感謝です。ラッキーでした。

彼女の長所を存分に引き出してくださり、メキメキと英語が上達していきました。もちろん彼女の努力の賜物です。

今考えれば、彼女は一人で未知の世界で頑張っていたのです。すごいね!頑張ったね!

大学からの確実な手紙をいただき、帰国の準備に取り掛かりました。

まずは私の就職。母が勤めていた私立高等学校で英語教師を探しているという情報をいただき、早速コンタクトを取りました。偶然、高校の交換留学生がバンクーバーに来るとくことで、引率としてこられていた教頭先生と面談。

娘の方は、色々とリサーチをしているうちに、帰国子女で一番苦労するのが、逆カルチャーショックと、友達関係、ひどい場合はいじめがあったありと、苦労している方がたくさんいることを知りました。学校がネックになるのだと感じました。

帰国すると、私の母校へ入学することになるのですが、こちらは公立のマンモス校。生徒の評判はイマイチ。自分が通った学校ですが、あまり良い印象はありませんでした。

その上、3年後には高校受験があり、これも娘にとっては高いハードルになるのだと気づきました。

また新たな壁が立ちはだかって…..

また後に続きます。

親子留学での出来事 その3

雪が止み、一安心。

でも東京の方は朝から地震、となんだか動揺して

しまうの私だけでしょうか。

その2では、大学側からの素晴らしい提案をいただき、それを受けるのかどうか。

というところまでだったと思います。

今日突然こちらを読まれる方は、親子留学での出来事、親子留学での出来事 その2を

読んでくださいね。

ombudsperson , Mrs.Harrisonさんには、滞在費がなくなってきていることは、伝えてありましたが、

帰国を考えているということは、特には触れていませんでした。

その場で、私も言って良いのかどうか、かなり動揺しました。

でも、言わずにこの場を去って、もう一度副学長と話せる機会が来るのかわからない。

やはり、言わなくては、と思いました。

次の瞬間、私は、娘の中学受験のを予定していること(これは娘の希望でした。)、滞在費があまりないということで、帰国を考えていることを説明しました。今までの無駄に支払ってきた授業料や時間があれば、現在卒業出来る状態になっていたはず。副学長からの提案を私がカナダに戻ってくる日までに保持することは可能かどうか、思い切って質問しました。もう破れかぶれでした、(笑)

何年先になるかなんて、約束できませんが、私は卒業したいのだとはっきりと伝えました。

その時のお二人が私をどう思ったかなど、その時は考えませんでしたが、きっとびっくりされていたのではないかと思います。

ですが、私の心配をよそに、副学長は、`OK、don`t worry!`

とにっこり笑って言ってくださいました。次回私がカナダに戻ってくる時のフライト代、そして、卒業までの授業料の補助、寮の手続きなどのサポートを約束していただきました。

のちに、オフィシャルな手紙を送っていただき、これを持って帰国を決めました。

Hooray!

やっぱり、夢を叶えたい気持ちは本当にパワフル!

また次のエピソードで会いましょう!