再会

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 先週の話ですが、ポストの中に手紙が入っていました。

送り主の名前を見てびっくり!

英語とピアノをGTの方で学んでくれていた子からでした。なんとも懐かしい名前に思わず笑顔。

中学生になったらたくさんの新しいことを色々と挑戦してみたい!と最後のレッスンの時に

手紙を渡してくれたKさん。今でもしっかりと保管してあります。

高校生になった彼女が、吹奏楽部員として頑張っているというお知らせと

コンサートのチケットが入っていました。

嬉しい気持ちでいっぱいになりました。これは是非行かなくては!

予定を調整して、晴れ舞台を鑑賞させていただきました。

直接会ってお話したかったのですが、コンサート前はリハーサル中、コンサート後にロビーに

出てくるということを聞いたので、待つことにしました。

コンサートはとても楽しく、演奏者全員の熱意が伝わってきて、青春だーと感動しました。

その感動も伝えられると思っていたのですが、ロビーで待っていてもなかなか姿が見えず、

もう一度伺うと、出てくるのは3年生のみ、ということを知らされて、あらら。

結局時間がなく会うことができずに、心ばかりのお花を受付に頼んで帰宅。

なんと昨日、家に訪ねてきてくれました!

小さい時の面影がありましたが、凛として素晴らしく成長した姿に感激いたしました。

お礼のお手紙も書いてきてくださり、感激の嵐でした。

よく一緒に来ていた幼稚園の妹さんもすっかり大きくなって!

こんなにも成長しちゃうんだなーと。

本当にありがとうございました。

感謝の気持ちを込めて。

心のケア その1

教える立場になってから、もう30年以上経ちます。

若い頃は自分の成長の中で、必死に教えて結果を求めていた時期がありました。

カナダの大学で、言語学を学びながらも、教育学、心理学など

いろいろな分野を勉強させていただきました。

知らないことがこの世の中にはたくさんあって、でもそれは自分が探しにいかないと

得られないものであることを学びました。

いつも受け身の状態でいると、いつの間にか日常の雑務におわれ、埋もれてしまって、今何が起こっ

ているのか、新しい情報を得ずに、ずっと古い習慣の中で沈んでいくように思います。

なるべくアンテナをはって、いろいろな情報を得るように毎日を過ごしております。

最近は日本の教育もだいぶん変わってきているのだとは思いますが、やはり、まだまだ自分で考える力

をつけてくれる教育にはなっていないように感じます。

私たちのレッスンではなるべく生徒さんたちに自分で考える力をつけて欲しいと考えています。

受け身ではなく、自分から掴んでいく姿勢を培ってほしいと思っています。

それに伴って、今感じていることは、生徒さんたちが自分の気持ちを表現することが難しいようにか感じます。

すぐに気持ちを表現できる人もいますが、稀です。

自分が幸せなのかどうかもわからない状態の子もいます。これにはびっくりしています。

また自己肯定感がとても低く、自分の良いところが見つけられない。また、自分の短所もわからない。

もっともっと自分についてわかってほしいし、自分を好きになってほしいと思います。

毎日忙しすぎるのでしょうか。

皆さんはどう思いますか?

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宇奈月温泉 延楽

鳥取の知人が富山にいらしたときに滞在された記憶があります。

素晴らしいと言ってくださって、嬉しかったです。

初めての

暑い暑い夏がようやく終わり、やっと秋らしい日々がやってきました。

カナダから帰ってきてから、夏の暑さが原因!?で体調を崩してしまいました。

今回は大腸憩室炎という今までに聞いたことがないもの。

発熱が二日ほどあり、風邪だと思っていたので、元気にならなければとせっせと栄養に気をつけた食事

をほうばっていたのですが、なんだか胃の調子も悪いし、右側の腹部がズーンとしていて、

これは痛は何なのかと思いながら過ごしていました。

もしかしたら癌かも知れない!?、と急に心配になりすぐにクリニックに行きました。

超音波と血液検査を経て、多分大腸憩室炎の疑い。すぐに紹介状を書いていただき、総合病院でのCTを

受けるよう指示されました。

日本人の29%ほどの方が持っているらしいこの病気。

大腸の壁に小さな窪みができて、そこが炎症を起こすらしいです。

この窪みがあっても、全く炎症せず、気づかずに過ごしている方もいるそうですが。

多分私の場合は気候の変化と、食べ物の変化で体調が整わず炎症に至ったのだと思います。

CTスキャンの結果、やはり大腸憩室炎と判明。

本当は皆さん入院して絶食、点滴で治されるらしいのですが、私は痛みがそれほど酷くなく、

自宅で治すことにしました。先生は入院を勧めていましたが。

とりあえず1週間自宅で頑張ることにしました。

腸を動かさないように、ということで、もっぱら食事はビタミン剤入りのドリンク。

あまり動かず、安静に過ごしました。胃は正常なので、お腹が空いてぺこぺこでした。笑

1週間後、血液検査ではまだ炎症レベルがあるため、もう1週間伸びました。(汗)

人間、なれるものですね。なんだかドリンクだけでもなんとか毎日過ごしきりました。

痛みがほとんどなくなってきたので、少しずつ消化の良いもの、例えば、豆腐の味噌汁、ヨーグルト

おかゆなどを少量食べるようにしていきました。

2週間目、ようやく炎症レベル下がり、お薬もなくなり、先生もOK出してくださりました。

まだまだ食事には気をつけないといけませんが、だいぶん食べれるようになってきました。

やっと玄米を食べれるようになったので、嬉しい今日この頃です。

世の中いろいろな病気がすものですね。

お互いに気をつけましょう!

黒部・宇奈月温泉 やまのは(オリックスホテルズ&リゾーツ)

Summer Trip 2024

今年の4月くらいに保護者の方から、ぜひ子どもたちにカナダの生活を体験させたい、と

お話しがあり、今回のTripが実現しました。

今回は二人の男の子9歳と11歳が参加されました。

二人で旅をするということで、未成年者のカナダ渡航のガイダンスに従い、いくつかの書類を準備していただきました。カナダでは子供の保護についてとても厳しい法律があります。ですので、入国するにあたっては、しっかりとした準備が必要です。

トラブルもなく無事に入国。バンクーバーインターナショナル空港では元気な顔を見せてくれました。

ステイ先はVancouver island。車で迎えに行けば?と言われるのですが、夏のバンクーバー、特にアイランドに向かうフェリーは毎日混雑が激しく、私たちは車を避け、歩きでフェリーに乗ることにしました。

空港からスカイトレインに乗り、ダウンタウンまで30分。そこから、Horseshoe bay フェリーターミナルまでの急行バスに乗ります。そしてフェリーに乗り1時間半。なかなかの長旅です。スーツケースを持ちながらの移動でしたが、元気に乗り切りました!またフェリーの荷物を預けるときにも地元の方とお話ししながら、預け方を学びました。カナダではすぐに会話が始まってしまうのです。(笑)

フェリーでは、近くに座っていたご家族と色々なお話をしました。後で知りましたが、このご家族、トロントから車で来られていて、午後6時のフェリーに乗るのに朝10時から並んでいて、やっと乗れたとのこと(ビックリ!)

歩きでよかった、よかった。

Vancouver Islandにはたくさんのrivers, lakes, beaches, parks があり、大自然の中で思いっきり遊ぶことができます。期間中は雨もなくとても良いお天気に恵まれました。

2週間という短い間でしたが、お母様からは、短い間に一回りも、二回りも大きくなって帰ってきました、という嬉しいメッセージもいただきました。ありがとうございます!

Jasper

昨日、とっても悲しいニュースを聞きました。

Jasper国立公園が山火事で焼け野原になっているというのです。乾燥がすごく、風も強いということで、火の周りがとても速くて消火がなかなか進まない状況のようです。かなりの広範囲が燃えているのです。

20年ほど前に娘と一緒にRocky Mountainを旅したときに、Jasperで一夜を過ごしたことを

思い出しました。

素晴らしい景色と、綺麗な湖、たくさんの思い出があります。

その場所で、多くの方達が今大変な状況に立たされていると思うと心が痛いです。また、素晴らしい自然がまたなくなってしまう事にも悲しい思いでおります。

私が娘とJasperへ行く事になったのは、その当時高校生二人が違うホームステイ先にました。多分ESLクラスの日本人の友人を通して知り合いになったと覚えていますが。夏休みに、Rocky Mouitain バスツアーに行きたいと言っていた二人なのですが、未成年ということで予約できないので、私に助けて欲しいと連絡が来ました。娘も一緒に行くのならば行けるけれど、と返信したところ、旅行会社から連絡が来て、OKが出ました。ディスカウントしていただいたような気がします。

この時、私のホストマザーはバンフに行った方が楽しいと助言してくれましたが、そのまま行く事になりました。今思えば行って良かったと本当に思います。

私の記憶では、その当時はケロウナが山火事で、バスで通過した時にひどい焼け野原を見て心が痛かったことを思い出します。

長い長いバスの旅でしたが、生まれて初めて見る光景に心を奪われて、本当に楽しい旅でした。

高校生の二人もとても優しい方達で娘ともよく遊んでくれました。

早く火が消えてくれることを願います。

新しい生活

3年のブランクを経て、カナダに戻りることになり、

住む場所、娘の学校など、かなり厳しい選択を迫られました。

大学側は、寮を私たちに確保してくれることを約束してくれていましたが、

それが、ベストの選択なのかどうかその当時の私には判断できませんでした。

なぜならば、娘が行くのは高校。カナダの高校といえば、公立の高校はその当時でも、

簡単に子供たちはアルコール、ドラッグなどの危険にさらされているということをいろいろな

方から聞いていたからです。

私がいうのもなんですが、彼女はとってもしっかりしていて、そんな誘いには絶対に

乗らない子でした。そんなに心配しなくてもよかったのですが、

その当時の私はとても彼女の安全に対して過敏になっていました。

たまたま近くの町に日本人の知り合いで、カナダでビジネスをしている方を知っていたので、

彼女に頼んで、住む場所を紹介していただき、高校についてはやはり規律の厳しいクリスチャンの私立

の高校へ通うことに決めました。

親子留学では、もし母親が大学などの学校でビザを取った場合、子供の国際学生としての支払いが免除になります。

子供だけが、学校に行く場合は、その当時で100万円ほど支払わなければならなかったと思います。

もちろん、私が選んだのは私立高校なので、授業料は払わなければなりませんでしたが。

今思えば、いろいろな面で、後悔が感じられます。

公立高校に行っていれば、彼女の高校生活はもっと素晴らしいものになっていたでしょう。

また思い出しながら、つづっていきたいと思います。

もう一度

 娘が『行きたくない』と言ってから、私はあまりカナダ行きについて話をせずに過ごしました。

大袈裟にならないように準備を進めていきました。

心の中では、「娘と一緒に行きたい』という気持ちがいつも響いていましたが、胸の中にそっとしまっていました。

ある日、『私もカナダに行く』と娘から突然の告白!

あまりにも唐突であっさりとしたものだったので、しばらく沈黙。。。。。

え、大丈夫なん?高校楽しんじゃないん???無理しなくんていいんだよ!?

彼女の中では、私と二人でいることが今一番大事であることを聞かされました。今まで二人で

全てを乗り越えてきたので、別々になることは考えられなかったようです。

娘からの全身全霊の応援をいただきました。

ありがとう。

さあ、本格的な渡河への準備が始まりました。

今回は家を空けている間。貸し出すことが可能かどうか、色々な不動産に相談に行きました。

今から15年前の話ですから、その時代にはなかなか家を貸出す。なんて人はいなかったように思います。ようやく一つの不動産を見つけ、なんとか契約を交わしました。

これで、向こうでの家賃はなんとか補えます。

しかし、貸出すとなると、気のみ気のままというわけにはいかず、家中のものを全て片付けなくてはなりませんでした。備え付けの冷蔵庫まで動かさなくてならなかったし、7月だったので、汗びしょびしょで大変だった記憶が。でも唯一よかったことは、グランドピアノだけはなんとか置いておくことを許してもらたということです。

実家の父、母、姉たちにはたくさん迷惑をかけてしまったなあと反省。と同時に本当に感謝しています。皆のおかげで無事にカナダに行くことができました。

ありがとうございました。感謝です。

決断

3年の月日は私たち二人にとっては本当に大事な時間でした。

娘の高校受験がなかったので、その分のストレスがなくなり大きな問題なく過ごすことができました。

私は教師として、たくさんのteenagerの生徒さんに会うことができました。

家庭の事情が非常に良くなく、それゆえに行動に問題のある子たちにも会いました。行動自体は悪いことなのですが、心に悩みを持ち、壊れそうな心で過ごしている子供達。

夜遅くまで家に電話をしたり、朝早くから家の方に尋ねたりと。真剣に向き合えば向き合うほど、私の方もどんどん疲れて、たまに友人に会うと、『なんか、大丈夫?窶れちゃって。。。』と言われる日々が続いていました。

それもあったのですが、一つ心配事がありました。

自分の英語力が日に日に衰えてきていることでした。日本語の環境にどっぷりと浸かり、英語を使うことがないのです。娘も然り。なるべく家では英語で会話するようには心がけていましたが限界がありました。

もうそろそろ戻らなくては……カナダへ。

大学からの手紙ーーーまだ有効だ。

気がついたら、高校の理事長にアポイントメントを取り付けていました。

この方は母のことをよくご存知の方でしたので、快く時間をとっていただきました。

私は今までお世話になった感謝を告げ、カナダの大学との約束を話しました。この時は

辞職するつもりでした。『何年かかるの?』と聞かれ、『多分1年で卒業はできます。』と

返答。『では、1年お休みして、また戻ってきてください。』と言ってくださったのです。

あっという間に承諾していただきました。このご恩は一生忘れないと思います。

さあ、これからまた新たな挑戦が始まります。

帰国子女とは その2

高校受験、これは私の地元富山では大変な関門です。

どの大学を卒業したかよりも、富山のどの高校を卒業したか、ということが大事なポイント。しかも、国公立は私立よりも上に見られている風潮があります。

私はあまり何も考えずにやってきましたが、大人になってみて、周囲の方々との会話で、この事実を

知り、びっくりしました。(汗)いや、これは実に面白い富山の特徴です。

地元のマンモス校に入って、他の生徒たちと一緒に学んでいけるのか。いじめなども対処していかなくてはならない。なんとか彼女を守る方法はないのか、悩みました。

東京にあるInternational schoolも考えましたが、授業料もかなり高く、また別々に暮らすことはその時は考えられなかったので、ひとまずこちらの方は保留にしました。

その頃は富山県には私立中学、高校の一貫教育施設がなく、色々探した結果、隣の石川県金沢市に、中高一貫コースの学校を見つけました。私の母が金沢出身なので、聞いてみたところ、大変良い学校とのこと。少人数制、キリスト教に基づいた教育理念、何より高校受験がない!

さっそく学校と連絡をとり、中学受験の申し込みなどについて教えていただきました。メールのやり取りから、学校の対応の良さが印象に残っていて、教頭先生が英語の先生だったこともあったのでしょうか。親身になって対応していただいた記憶があります。

帰国がすぐにできないため、中学受験願書の資料を母に学校までとりに行ってもらい、カナダに送ってもらいました。それをまた日本に送り返し、今では考えられない長い道のり(笑)

母には本当に感謝です。

ここから娘の中学受験勉強がスタートしました。

こんな短期間の準備で大丈夫なのだろうか?不安がなかったわけではなかったのですが、この時は、もうここに行く!と決めて行動をしていたので、迷っている時間はなかったように覚えています。

不安の理由としては、カナダにいた4年間は、毎週土曜に現地にある日本語補習校に通っていましたが、こちらでは、国語、算数を集中して勉強しており、理科、社会はほとんど勉強していなかったことです。

とても親切な牧師Yさんが、このギャップを埋めましょう!と、手を挙げてくださり、週に2、3回お家の方に通わせていただいた記憶があります。本当によくしていただき、感謝しております。娘も帰国を望んだ以上、やはりやらなければ。と文句を言わず、頑張っていた様子を覚えています。

帰国の日が迫ってきました。

帰国子女とは

今日は結構暖かいと思っていたのですが、夜になると冷え込みますね。

薪ストーブの前を陣取って書き始めました。

親子留学をして、4年間娘と二人三脚で頑張ってきました。

彼女はまったく英語ゼロでカナダに来て、本当に大変だったと思います。

留学前は一応某英会話教室などに通わせていましたが、本人はまったく興味が無く

ただ、遊びに行っていただけのようで…..(笑)

また次の機会に私たちの奮闘記に触れてみたいと思います。

帰国子女という言葉をご存知に方はたくさんいらっしゃると思います。

簡単に説明すると、2年以上海外で生活して、日本に帰ってきた子供達のことを指します。

私が親子留学を決めたのは、自分の留学のためと、、8歳の娘を一緒に連れていくことで、、密かに娘が帰国子女になれば良いなあ。と考えていたからです。一石二鳥ではないですが、二人にとって素晴らしい経験になると確信していました。もちろん彼女に将来にもきっとプラスになるだろうと。

彼女は行く学校全て、日本人がいないという状況で、素晴らしいクラスメート、また素晴らしい先生方に恵まれました。本当にこれは感謝です。ラッキーでした。

彼女の長所を存分に引き出してくださり、メキメキと英語が上達していきました。もちろん彼女の努力の賜物です。

今考えれば、彼女は一人で未知の世界で頑張っていたのです。すごいね!頑張ったね!

大学からの確実な手紙をいただき、帰国の準備に取り掛かりました。

まずは私の就職。母が勤めていた私立高等学校で英語教師を探しているという情報をいただき、早速コンタクトを取りました。偶然、高校の交換留学生がバンクーバーに来るとくことで、引率としてこられていた教頭先生と面談。

娘の方は、色々とリサーチをしているうちに、帰国子女で一番苦労するのが、逆カルチャーショックと、友達関係、ひどい場合はいじめがあったありと、苦労している方がたくさんいることを知りました。学校がネックになるのだと感じました。

帰国すると、私の母校へ入学することになるのですが、こちらは公立のマンモス校。生徒の評判はイマイチ。自分が通った学校ですが、あまり良い印象はありませんでした。

その上、3年後には高校受験があり、これも娘にとっては高いハードルになるのだと気づきました。

また新たな壁が立ちはだかって…..

また後に続きます。