Martin Mars Water Bomber

毎年カナダに行くと、Spraot Lakeの近くに住む友人の家に

お邪魔させていただきます。

今年もいつものように生徒たちを連れてお邪魔しました。

素晴らしい体験をいつもさせていただき、感謝しています。

Martin Mars という山火事などで活躍する最大級の飛行機ですが、この湖に腰を下ろしています。

今年は何故か、湖の真ん中に着陸した状態で、とても間近で見ることができました。

なんとラッキーな、と思っていたのですが、実は今年でこの湖からビクトリアにある博物館に

移動するというのです。

そしてNanaimoに戻り、数日してwaterfrontに生徒たちを連れていたときでした。

なんと最後の飛行を見ることができました!

皆さんにシェアできたらと思います。

なんだか寂しい気持ちになりましたが、心から感謝を込めて最後のフライトを応援しました。

Summer Trip 2024

今年の4月くらいに保護者の方から、ぜひ子どもたちにカナダの生活を体験させたい、と

お話しがあり、今回のTripが実現しました。

今回は二人の男の子9歳と11歳が参加されました。

二人で旅をするということで、未成年者のカナダ渡航のガイダンスに従い、いくつかの書類を準備していただきました。カナダでは子供の保護についてとても厳しい法律があります。ですので、入国するにあたっては、しっかりとした準備が必要です。

トラブルもなく無事に入国。バンクーバーインターナショナル空港では元気な顔を見せてくれました。

ステイ先はVancouver island。車で迎えに行けば?と言われるのですが、夏のバンクーバー、特にアイランドに向かうフェリーは毎日混雑が激しく、私たちは車を避け、歩きでフェリーに乗ることにしました。

空港からスカイトレインに乗り、ダウンタウンまで30分。そこから、Horseshoe bay フェリーターミナルまでの急行バスに乗ります。そしてフェリーに乗り1時間半。なかなかの長旅です。スーツケースを持ちながらの移動でしたが、元気に乗り切りました!またフェリーの荷物を預けるときにも地元の方とお話ししながら、預け方を学びました。カナダではすぐに会話が始まってしまうのです。(笑)

フェリーでは、近くに座っていたご家族と色々なお話をしました。後で知りましたが、このご家族、トロントから車で来られていて、午後6時のフェリーに乗るのに朝10時から並んでいて、やっと乗れたとのこと(ビックリ!)

歩きでよかった、よかった。

Vancouver Islandにはたくさんのrivers, lakes, beaches, parks があり、大自然の中で思いっきり遊ぶことができます。期間中は雨もなくとても良いお天気に恵まれました。

2週間という短い間でしたが、お母様からは、短い間に一回りも、二回りも大きくなって帰ってきました、という嬉しいメッセージもいただきました。ありがとうございます!

学生生活

3年間高校で教師をし、また担任という大きな責任を背負いがら過ごした日々から

一転して、また学生生活に戻りました。今回は失敗は許されません。

1年間でしっかりと卒業をして、また教師生活に戻らなくてはなりません。

前回と違い、専門クラスがほとんどなので、クラス規模も小さく、だいたい30人くらいの編成です。

パソコンは独学でやってきたので、わからないことがたくさん。プレゼンや、資料作成、エッセイの提出など、すべてやらなくてはなりません。特にグループでのプレゼンではお互いに資料をオンラインで交換したり、リサーチの結果をまとめたり、と頭が痛かったことを覚えています。

カナダでは計算の数値を計算機で計算する問題もあり、言語学の専門クラスのテストに出て、ちんぷんかんぷんだった記憶も。暗算で答えは出ても、ダメでした。

日本では音楽大学を目指し、高校では音楽コースだったので数学、化学をほとんど勉強した記憶がなくて(笑)

ここにきて、言語学、こちらはサイエンスに近い分野になるので、甘かったな。と反省。

幸いにも若いクラスメートがとても親切にしてくれて(多分私が最年長だったような)、一緒に勉強する時間を作ってくれたことで、この難しい環境でも乗り越えられたのだと今も感謝しています。

 住んでいる場所が少し大学から遠いのと、前回と違いガソリン代がバカ高くなってきていて、大学まで車で行き来するには予算を大幅に超えるため、車とバス、スカイトレインでride &bikeというシステムを使い、通いました。最寄りのスカイトレインの駐車場に車を止め、そこからスカイトレイン、そしてバスを乗り継ぎ大学まで、という形です。今、日本でもこのシステムを使っているところがあると思います。

 娘も新しい学校での学びが始まりました。

 私立高校のため、制服がありました。なんとも変な気持ちでした。カナダで制服を着るなんて!

なかなか可愛い制服でしたよ。

 ちょうど大家さんの娘さんたちも同じ学校だったので、時々一緒に連れて行ってくださり、こちらも感謝でした。さすがに帰りまではご迷惑かけられないので、バスで帰るようにしていましたが。

こうして色々な方達のおかげで、新しい学生生活が始まりました。感謝です。

もう一度

 娘が『行きたくない』と言ってから、私はあまりカナダ行きについて話をせずに過ごしました。

大袈裟にならないように準備を進めていきました。

心の中では、「娘と一緒に行きたい』という気持ちがいつも響いていましたが、胸の中にそっとしまっていました。

ある日、『私もカナダに行く』と娘から突然の告白!

あまりにも唐突であっさりとしたものだったので、しばらく沈黙。。。。。

え、大丈夫なん?高校楽しんじゃないん???無理しなくんていいんだよ!?

彼女の中では、私と二人でいることが今一番大事であることを聞かされました。今まで二人で

全てを乗り越えてきたので、別々になることは考えられなかったようです。

娘からの全身全霊の応援をいただきました。

ありがとう。

さあ、本格的な渡河への準備が始まりました。

今回は家を空けている間。貸し出すことが可能かどうか、色々な不動産に相談に行きました。

今から15年前の話ですから、その時代にはなかなか家を貸出す。なんて人はいなかったように思います。ようやく一つの不動産を見つけ、なんとか契約を交わしました。

これで、向こうでの家賃はなんとか補えます。

しかし、貸出すとなると、気のみ気のままというわけにはいかず、家中のものを全て片付けなくてはなりませんでした。備え付けの冷蔵庫まで動かさなくてならなかったし、7月だったので、汗びしょびしょで大変だった記憶が。でも唯一よかったことは、グランドピアノだけはなんとか置いておくことを許してもらたということです。

実家の父、母、姉たちにはたくさん迷惑をかけてしまったなあと反省。と同時に本当に感謝しています。皆のおかげで無事にカナダに行くことができました。

ありがとうございました。感謝です。

Dilemma

私の気持ちはすでにカナダに。

と同時に3年間のブランクででやっていけるのかどうか…不安もありました。

娘は中高一貫に入り、高校生活も楽しく、担任の先生がとても良い方で

彼女にとって満喫した時間を過ごしていたことを覚えています。

やっと日本に慣れて頑張っている娘の姿を見て、自分一人で行くこともありだな。と

一方では、娘の将来を考えたら、一緒に連れて行った方が絶対にいい。と

Dilemma (ジレンマ)でしたね…

とりあえず渡河の意向を伝えました。

予想通り、彼女の最初の反応は『行きたくない。』でした。

それはもう、わかっていたので、とにかく私は行くので日本で頑張って待っていて欲しいと告げました。

今まで、二人三脚で頑張ってきたので、離れることはとても辛いことでしたが、私の決意は変わりませんでした。彼女にとっても、私にとってもきっと良いことなのだろうと自分に言い聞かせている毎日でした。

しばらくカナダ行きについては話すことはなく、過ごしました。

無事に

まったく自信がなかった娘、私も何とかと願うばかりの毎日。

半分は地元の中学校への入学を考え始めていました。

しかし、なんと合格することができました!やったぞー!

娘を受け入れてくださり、本当に感謝でした。

そして私たち二人の新しい生活がスタート。

学校は隣の県、石川県金沢市にあります。

JR富山駅から金沢駅まで普通列車で1時間。そのあと、バスで30分くらいですか。

ですので、朝は5時半に起き、二人分のお弁当作り、朝食を食べ、6時半には駅に向かいました。

私はありがたいことに、富山市にある高校で教師として働き、3年間お世話になりました。いろいろなことを学ぶことができ感謝しています。

今一番心に残って感心していることは、彼女が毎日休まずに学校に通ってくれたことです。

はじめは、やはり逆カルチャーショックで慣れるのに、苦労をしていました。学校にいきたくない。

と言ったこともありました。

後から聞いた話ですが、やはりカナダと日本の文化、習慣の違いでかなり戸惑ったそうです。

カナダは自分の意思表示をしっかりしないと周りに認めてもらえません。「出る杭は打たれる」のが

日本です。クラスメートたちとの関係をスムーズにするために、なかなか時間がかかったようです。

不登校になるかもしれないと心配しましたが、よく踏ん張ってくれました。

本当にがんばったね!

私も新しい職場で、いっぱいいっぱいで、必死だった姿を彼女は見ていたのでしょう。私を困らせるようなことは言いませんでした。もっと余裕をもって話をしてあげればよかったかな。と反省しています。ごめんなさい。

いろいろありましたが、3年後、もう一度カナダへ渡ります!

帰国子女とは その2

高校受験、これは私の地元富山では大変な関門です。

どの大学を卒業したかよりも、富山のどの高校を卒業したか、ということが大事なポイント。しかも、国公立は私立よりも上に見られている風潮があります。

私はあまり何も考えずにやってきましたが、大人になってみて、周囲の方々との会話で、この事実を

知り、びっくりしました。(汗)いや、これは実に面白い富山の特徴です。

地元のマンモス校に入って、他の生徒たちと一緒に学んでいけるのか。いじめなども対処していかなくてはならない。なんとか彼女を守る方法はないのか、悩みました。

東京にあるInternational schoolも考えましたが、授業料もかなり高く、また別々に暮らすことはその時は考えられなかったので、ひとまずこちらの方は保留にしました。

その頃は富山県には私立中学、高校の一貫教育施設がなく、色々探した結果、隣の石川県金沢市に、中高一貫コースの学校を見つけました。私の母が金沢出身なので、聞いてみたところ、大変良い学校とのこと。少人数制、キリスト教に基づいた教育理念、何より高校受験がない!

さっそく学校と連絡をとり、中学受験の申し込みなどについて教えていただきました。メールのやり取りから、学校の対応の良さが印象に残っていて、教頭先生が英語の先生だったこともあったのでしょうか。親身になって対応していただいた記憶があります。

帰国がすぐにできないため、中学受験願書の資料を母に学校までとりに行ってもらい、カナダに送ってもらいました。それをまた日本に送り返し、今では考えられない長い道のり(笑)

母には本当に感謝です。

ここから娘の中学受験勉強がスタートしました。

こんな短期間の準備で大丈夫なのだろうか?不安がなかったわけではなかったのですが、この時は、もうここに行く!と決めて行動をしていたので、迷っている時間はなかったように覚えています。

不安の理由としては、カナダにいた4年間は、毎週土曜に現地にある日本語補習校に通っていましたが、こちらでは、国語、算数を集中して勉強しており、理科、社会はほとんど勉強していなかったことです。

とても親切な牧師Yさんが、このギャップを埋めましょう!と、手を挙げてくださり、週に2、3回お家の方に通わせていただいた記憶があります。本当によくしていただき、感謝しております。娘も帰国を望んだ以上、やはりやらなければ。と文句を言わず、頑張っていた様子を覚えています。

帰国の日が迫ってきました。

帰国子女とは

今日は結構暖かいと思っていたのですが、夜になると冷え込みますね。

薪ストーブの前を陣取って書き始めました。

親子留学をして、4年間娘と二人三脚で頑張ってきました。

彼女はまったく英語ゼロでカナダに来て、本当に大変だったと思います。

留学前は一応某英会話教室などに通わせていましたが、本人はまったく興味が無く

ただ、遊びに行っていただけのようで…..(笑)

また次の機会に私たちの奮闘記に触れてみたいと思います。

帰国子女という言葉をご存知に方はたくさんいらっしゃると思います。

簡単に説明すると、2年以上海外で生活して、日本に帰ってきた子供達のことを指します。

私が親子留学を決めたのは、自分の留学のためと、、8歳の娘を一緒に連れていくことで、、密かに娘が帰国子女になれば良いなあ。と考えていたからです。一石二鳥ではないですが、二人にとって素晴らしい経験になると確信していました。もちろん彼女に将来にもきっとプラスになるだろうと。

彼女は行く学校全て、日本人がいないという状況で、素晴らしいクラスメート、また素晴らしい先生方に恵まれました。本当にこれは感謝です。ラッキーでした。

彼女の長所を存分に引き出してくださり、メキメキと英語が上達していきました。もちろん彼女の努力の賜物です。

今考えれば、彼女は一人で未知の世界で頑張っていたのです。すごいね!頑張ったね!

大学からの確実な手紙をいただき、帰国の準備に取り掛かりました。

まずは私の就職。母が勤めていた私立高等学校で英語教師を探しているという情報をいただき、早速コンタクトを取りました。偶然、高校の交換留学生がバンクーバーに来るとくことで、引率としてこられていた教頭先生と面談。

娘の方は、色々とリサーチをしているうちに、帰国子女で一番苦労するのが、逆カルチャーショックと、友達関係、ひどい場合はいじめがあったありと、苦労している方がたくさんいることを知りました。学校がネックになるのだと感じました。

帰国すると、私の母校へ入学することになるのですが、こちらは公立のマンモス校。生徒の評判はイマイチ。自分が通った学校ですが、あまり良い印象はありませんでした。

その上、3年後には高校受験があり、これも娘にとっては高いハードルになるのだと気づきました。

また新たな壁が立ちはだかって…..

また後に続きます。

親子留学での出来事 その3

雪が止み、一安心。

でも東京の方は朝から地震、となんだか動揺して

しまうの私だけでしょうか。

その2では、大学側からの素晴らしい提案をいただき、それを受けるのかどうか。

というところまでだったと思います。

今日突然こちらを読まれる方は、親子留学での出来事、親子留学での出来事 その2を

読んでくださいね。

ombudsperson , Mrs.Harrisonさんには、滞在費がなくなってきていることは、伝えてありましたが、

帰国を考えているということは、特には触れていませんでした。

その場で、私も言って良いのかどうか、かなり動揺しました。

でも、言わずにこの場を去って、もう一度副学長と話せる機会が来るのかわからない。

やはり、言わなくては、と思いました。

次の瞬間、私は、娘の中学受験のを予定していること(これは娘の希望でした。)、滞在費があまりないということで、帰国を考えていることを説明しました。今までの無駄に支払ってきた授業料や時間があれば、現在卒業出来る状態になっていたはず。副学長からの提案を私がカナダに戻ってくる日までに保持することは可能かどうか、思い切って質問しました。もう破れかぶれでした、(笑)

何年先になるかなんて、約束できませんが、私は卒業したいのだとはっきりと伝えました。

その時のお二人が私をどう思ったかなど、その時は考えませんでしたが、きっとびっくりされていたのではないかと思います。

ですが、私の心配をよそに、副学長は、`OK、don`t worry!`

とにっこり笑って言ってくださいました。次回私がカナダに戻ってくる時のフライト代、そして、卒業までの授業料の補助、寮の手続きなどのサポートを約束していただきました。

のちに、オフィシャルな手紙を送っていただき、これを持って帰国を決めました。

Hooray!

やっぱり、夢を叶えたい気持ちは本当にパワフル!

また次のエピソードで会いましょう!

親子留学での出来事

いつのまにか、2024年。

月日が経つのは早いですね。久しぶりにブログ書いてみます。

今日は親子留学でのトラブルについてお話ししたいと思います。

大学側のミスで起こったことです。

大学にはTESLプログラムを取得するために行きました。勉強を重ねるうちに言語学に大変興味が湧き、3年生から言語学部へ編入を決めました。せっかくなので大学も卒業したいと思いました。

この編入のことをSecond degree programと言われています。

(日本で大学を卒業しているので、3年生から大学に入れます。)

一緒に勉強していた韓国の友人と共に、申し込みました。

編入を希望したのには理由があって、3年生になると、専門性が高まり、少人数クラス(30人くらい)になるため、もっと突き詰めて学べると考えました。

申し込んで、二人とも意気揚々、頑張ろうと誓いました。

しかし、

セメスターごとにオンラインでクラスを取りに行くのですが、なかなか取れない。

waitlistウエイトリストといって、誰かがキャンセルすれば自動的に入れるシステム。前にたくさんの方が待っているので、結局クラスに入れません。3セメスターくらいでしょうか、あまりに取れないので、韓国の友人は痺れを切らして、帰国してしまいました。相当怒っていましたね。

私も同様に憤慨していたのですが、娘の学校のことなどもあり、諦めるわけにはいかないと、一人になっても何度もregistration officeや学生課に行って、相談したり、クラスの教授に入れてください!と直談判に行ったこともありましたが、みんなそうやって苦しい思いをしているから仕方がないのだ、と言い聞かされ、何度も何度もwaitlistのまま、なるべく関係のあるクラスを代わりに取って、単位を増やしていました。。

何度泣いたかなー。

だいぶんたって、あるクラスは満席ではないのに、waitlistに。おかしいと思い、すぐにregistration

officeに確認に行きました。なんと帰ってきた言葉が`あなたはsedond degree programに入っていません。`でした。はっ?あまりの衝撃で言葉もでませんでした。今まで何度も相談に来ていたのに、全くわからなかったのでしょうか?今思えば本当に腹が立ちます。その時の態度が、またひどかったです。自分のせいではない、というように、開き直っておられました。

いや、あなた方の落ち度ですよね。私の時間とお金をどうしてくれるのでしょうか。

International studentの授業料は、地元生徒さんの3倍払わなくてはいけないので、かなりのお金になります。とほほ 滞在費も底をついてきていましたし、娘の中学進級により帰国も迫ってきていて。

TESLのプログラムはなんとか修了していましたが、卒業はできない!

どうすれば良いのかわからず、途方に暮れました。

日本人のコミュニティーにも相談しましたが、助けてくれる気配はありませんでした。

ある日、友人からombudsperson に相談してみたらどうかと言われ、藁をも縋る思いで、オフィスに行きました。

この続きは次の機会に…